三国志における「裏切り」について考える

三国志と来て裏切りとくれば誰が思い浮かぶでしょうか?

裏切る理由

乱世における裏切りには大きく分けて下の2つパターンが存在すると考えられます。

  • 敵勢力に寝返る
  • 味方勢力に対して故意に援助を行わない

寝返り

乱世を生き抜くにおいて、三国志に登場する人物には多かれ少なかれ敵に寝返ることを考える人は多かったでしょう。寝返りをしなければ自らの命が危ない・・・そんな時代です。また、戦闘が起きていなくても仕えている人があまりにもダメすぎて他の勢力に鞍替えするということもよくありました。

このパターンで有名な人物と言えばやはり呂布があげられると思いますが、それ以外にも寝返りをした人はかなり多く存在します。

孟達

孟達はもともと劉璋に仕えていた人ですが、劉備の益州攻略によって劉備に仕えるようになります。しばらくは普通の生活を送っていたのですが、樊城の戦いが起きると孟達に転機が訪れることになります。

樊城攻めを行う関羽から援軍の要請が来るのですが、孟達はこれを断ります。そして、最終的に樊城の戦いで関羽が敗北して処断されると孟達は劉備からの処罰を恐れて魏に寝返ったのです。しかも孟達はこの時上庸の太守を任されていたために上庸は無血で都市ごと魏のものになったのです。

そうして魏に褒美をもらった孟達はその後魏で暮らした・・・かと思いきや、今度は街亭の戦いの前に諸葛亮に寝返らないかと持ちかけられ孟達はこれを承諾します。しかし、この寝返りが事前に司馬懿に見抜かれて攻撃され、命を落とすことになりました。

許攸

許攸はもともと袁紹に仕えていましたが、献上した策が全然受け入れられなかったがために袁紹にうんざりして曹操に寝返った人物です。

許攸自体の寝返った理由はそれほど大したことはありませんが、許攸が持っていた最高軍事機密である袁紹軍の兵糧の情報が曹操に漏れることになり、これをきっかけに曹操は官渡の戦いで勝利をおさめることになります。

このように、たった一人の寝返りによって勢力図が一瞬で変わったり、戦況が大きく変化したりということがあるため、上に立つ人はいかにして部下たちの信頼を集めることができるかというもの重要と言えます。

援助をしない

こちらは寝返りと違って少し回りくどいですが、「虎牢関の戦いにおける袁術の行動」と言えばピンとくる人もいるのではないかと思います。

要するに、本来は味方同士で協力して敵と戦わないといけないのに味方の足を引っ張って陥れるのです。これを行う人は共通して「いつか自分(または自分の勢力)を盛り立てるために障害となるものは取り除く」という考えを持って援助をしないことを決めることが多いように感じます。

周瑜

赤壁においては劉備とともに曹操を打ち倒しましたが、内心では劉備陣営を警戒していたとも言われています。

10万本の矢は演義の中における創作でありますが、周瑜が考えた天下二分の計を実行に移すためにはやはり劉備陣営・・・とりわけ諸葛亮と心から協力するということは考えにくいでしょう。赤壁に勝利するまで表立った対立は起こさなかっただけまだ冷静だったといえます。

袁尚

袁尚は袁紹の子であり、袁紹亡き袁家の跡継ぎとなった人物です。本来であれば長男である袁譚が後を継ぐはずだったのにそれが袁尚になった・・・当然袁譚はこれに納得していませんし、袁尚もせっかく手に入れた主導権を手放す気なんてないでしょう。

曹操という目の前の敵がいるというのに袁尚は袁譚との軍事衝突も起こし、袁家全体でみると結局内部でいたずらに戦力を低下させただけです。曹操はこの様子を見て笑いが止まらなかったことでしょう。

寝返り、そして援助をしないと、乱世においては時と場合によっては誰が味方で誰が敵なのかわからなくなってくることがあります。また、時代の波に流されて結果的に仕える人がころころ変わった張遼のようなパターンもあります。

この時代を生き抜くためには味方に対する「裏切り」もしなければならなかったと考えられます。

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