もし○○が天下統一を目指すなら ~呉編~

歴史の「もしも」を考えてみることも面白いかもしれません。今回は「呉が勝つシナリオ」を(勝手に)考えてみます。

※この記事は歴史のIFを書いたものです。実際の出来事とは何の関係もありません。

呉が天下を取るためには

呉が天下を取るためにはどうすればよいのでしょうか?

もし孫堅が生きていれば

孫堅は実際の歴史においては劉表との戦いにおける流れ矢によって命を落としているため、もしこの戦いが起きなければ孫堅は生きながらえて別の歴史が始まることになります。三国志のかなり早い段階でいなくなるため情報が少なく、彼が生きていた時の歴史は全く見当もつきません。

もし孫策が生きていれば

孫策もまた暗殺という形で命を落としています。これも暗殺が失敗すればまたここから違う歴史が始まることになります。そして孫策は暗殺される直前に官渡の戦いの隙を狙って曹操を攻める計画をしていたというのです。

許昌への奇襲は成功するか?

許昌への奇襲作戦自体に関してはそれほど難しくなく実行することができるでしょう。それもそのはず、官渡の戦いは前哨戦や膠着状態なども含めて長期戦になっている上に、曹操自らも官渡で指揮を執っていたのですから許昌は曹操不在の状態です。事前に察知して迎撃することは難しいと考えられます(もちろん、計画が露呈しなければの話ですが)

それでは奇襲は成功する可能性はあるのか・・・結論から言うと、十分にあったと考えられます。

理由として挙げられるのは、官渡の戦いにおいて曹操は烏巣の奇襲攻撃を行うまでは終始劣勢気味であったというところだと考えられます。その状態で背後から孫策軍による奇襲を受けたとなれば曹操としてはたまったものではないでしょう。

また、曹操があらかじめ孫策を警戒してある程度南方への防御を固めていたとしても、それは逆に官渡に対する兵力が減少することになりますからそもそも曹操が官渡の戦いで勝利できたのかどうかすら怪しくなってきます。

ただし、孫策はこの奇襲の計画において献帝の保護も考えていたようですが、さすがにここまでうまく成功するかどうかは五分五分だと考えられます。

孫権の代になると天下統一は難しくなる

そして、もし孫堅、孫策が実際の歴史通りに動いて孫権の代になった場合、天下統一への道はものすごく遠くなります。それもそのはず、曹操が官渡の戦いで勝利して中原、河北一帯を抑えた大勢力と化しているのですから。

もしここから天下統一を狙うのであれば周瑜が実行しようとした天下二分の計が現実的な戦略と言えるのではないでしょうか?

赤壁に勝利した後は劉備を早々に潰して荊州を手に入れ、その後益州、涼州と勢力を拡大して曹操と対抗する・・・といっても、赤壁で敗北した曹操はその3年後に潼関の戦いで涼州の勢力を討伐しています。

荊州と益州はまだしも、涼州を手に入れるのは時間的に難しいと考えられます。

もし呉が天下統一を狙うのであれば、孫策の代が一番その可能性に近づいていた・・・かもしれませんね。

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