もし○○が天下統一を目指すなら ~魏編~

歴史の「もしも」を考えてみることも面白いかもしれません。今回は「魏が勝つシナリオ」を(勝手に)考えてみます。

※この記事は歴史のIFを書いたものです。実際の出来事とは何の関係もありません。

魏が天下を取るためには

魏が天下を取るためにはどうすればよいのでしょうか?

曹操は漢王朝を滅ぼす気があったのか?

まず戦略を考える前に、曹操が漢王朝に対してどのような感情を抱いていたのかということを考える必要があるでしょう。魏が建国されたのは曹操がなくなってその息子の曹丕の時代であり、曹操はあくまで漢王朝に所属しているという体裁をとっていました。

もちろん、献帝が許昌に入ってからはもはや事実上は曹操の言いなりになっていたと考えられますが、禅譲を受けることまで考えていたのでしょうか?

これに関しては各方面で様々な考察がされており、はっきりとしたことは言えません。しかし、実際の歴史においては曹操が魏王の地位までに上がっていることを考えると、禅譲を受けることを考えなかった・・・とは言い切れないかもしれません。

これ以上はこの記事の趣旨から外れるため、ここではざっくりと「曹操が天下統一をしたら禅譲を受ける」という前提で話を進めます。

赤壁で勝利できるかどうか

曹操は旗揚げの段階から張繍、呂布を滅ぼし、献帝を保護、長安を手中に収め、200年には官渡の戦いで袁紹を滅ぼして河北の地も手に入れています。ここまでは実際の出来事通りに事を進めるのが正解でしょう。

そして、曹操にとって天下統一に近づくための一番大きいイベントとなるのが赤壁の戦いです。ここに勝利できるかどうかで歴史は大きく変わると言ってもいいでしょう。

赤壁に負けた要因を考えてみる

赤壁の戦いと言えば、演義においては火計や東南の風など、さまざまな策を張り巡らせて大勢力の曹操軍に勝った話が面白いですが、逆になぜ曹操は赤壁で負けたのでしょうか?

曹操の軍が赤壁まで来て撤退したのは否定しようがない。
ただし、その際伝染病が流行った為に、北岸に停滞せざるをえなかった。それも数日とかではなく、ある程度長い日数だったと推測する。恐らく疫病の終焉を待っていたのだろう。その間、船が散らばらないよう互いに繋いでいたのだろう。その間に呉の側は火攻めを思いつき、風向きのいい日を選ぶ事が出来た。

引用:赤壁の戦いの実相は? – 正史や唐詩から

正史においては、赤壁で曹操が苦しめられたものとして伝染病(風土病)が書かれています。火計の話もありますが、曹操にとってはこの風土病を何とかしないといけないでしょう。

疫病への耐性

まず考えられる対策としては、兵士たちに疫病に対する耐性をつけるように徹底することがあげられますが、現代とは違ってこの時代の衛生環境は悪く、また疫病の原因もわからなかったことからこれはまず現実問題としては難しいでしょう。

進軍ルートを変えてみる?

そもそも赤壁という場所自体が疫病が発生しやすいという話もあります。それならば進軍ルートを変えてみるというのはどうでしょうか?

少し汚い話になりますが、この戦いにおいて曹操軍の兵力は孫権・劉備軍の約5倍から10倍ぐらいの数と言われています。しかし、兵力が多くなってくると排泄物の処理という問題が出てきます。この時代のトイレ事情もそれほどうまくいっていたとは考えにくく、排泄物が疫病をさらに悪化させたとしている話もあります。

それならばいっそのこと兵力をあえて少なくして、余った兵力を遠回りさせて二方向から攻めてみる・・・なんて方法もありかもしれません。

ここまで兵力が膨らんだのはおそらく劉備を追撃している途中で劉琮の勢力を吸収したためと考えられますが、もしかしたら多くの兵力を擁していたからこそ曹操にも隙が生まれてしまったのかもしれません。

赤壁の結果さえ覆せれば

いずれにせよ、もし赤壁で曹操軍が勝つことができれば、いくら孫権が地盤を固めていたとはいえ、曹操軍に滅ぼされるのは時間の問題だったかもしれません。また、あえて孫権を滅ぼさずに先に劉備を滅ぼして荊州を狙うという手もあったでしょう。

曹操は220年で息を引き取っていますが、赤壁に勝って江東(揚州)、荊州、益州、涼州と手中に収めることができれば病死する前に天下を統一し、それを理由に禅譲されれば漢王朝は滅亡し、魏が誕生(すでに天下統一済み)・・・となったかもしれませんね。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク