魏、蜀に並び立とうとするも、国内事情に悩まされた ~呉~

孫権が建国した呉という国について見ていきます。

三国の中では最後にできた国

魏、蜀、呉の三国の中で最初に誕生したのが魏であり、その1年後に蜀が誕生しました。そしてその後少し時期を置いて孫権が建国したのが呉王朝です。

当時は蜀が漢室復興のために諸葛亮が北伐を行っている時期であり、孫権は蜀が魏とにらみ合っている隙をついて皇帝に即位しました。

呉の歴史

呉の歴史を年表でまとめてみます。

皇帝 出来事
229 孫権 孫権が呉を建国し、初代皇帝に即位する
234 合肥新城の戦いが発生
242 孫和を太子に、孫覇を魯王に任命する
孫和と孫覇の後継者争いが始まる
244 陸遜を丞相に任命する
250 孫和を太子から廃し、孫覇は命を落としたことによって後継者争いは収束する
孫亮を跡継ぎに決める
252 孫亮 孫権が崩御、孫亮が2代目皇帝に即位

ただし、実権は諸葛恪が握る

253 孫峻が諸葛恪を暗殺し、実権を握る
256 孫峻が死亡し、孫綝が実権を握る
258 孫休 孫綝によって孫亮が廃され、孫休が3代目皇帝として擁立される

孫休が孫綝を暗殺する

264 孫晧 孫休が崩御、孫晧が4代目皇帝に即位
279 晋による総攻撃を受ける
280 孫晧が晋に降伏し、呉が滅亡する

国内事情に悩まされる

蜀や魏の年表と違って、孫権が崩御するまでの出来事として対外的なものはあまりあげることはありません。散発的な魏に対する軍事行動はありましたが、それ以外の時期はあまり魏と戦っていなかったと言えるでしょう。

しかし、呉の内部においては孫権の後継者争いが繰り広げられるようになり、陸遜もそれに巻き込まれて命を落とすことになります。孫和と孫覇の争いは最終的に孫権が両成敗で決着をつけ、跡継ぎには一番末っ子の孫亮が選ばれました。

まるでどこかと同じような末路

そして、孫権の生前からくすぶっていた問題は孫権が崩御するとともに内部での大迷走が始まります。それはまるで他の何かをそのまま持ってきたかのような出来事だったのです。

袁家のような後継者問題

袁家一族は袁紹が死んだ後に袁尚と袁譚という2人による後継者争いが問題となりますが、呉における後継者争いは袁紹のときの状況がかなりマシに見えてくるぐらいにひどい状況となります。

孫権は国を治めることには長けていましたが、後継者についてはなぜか一番末っ子の孫亮を選択しています。孫権が崩御した時点で孫亮はまだ10歳。これが呉を衰退させる原因を作ってしまうことになります。

蜀のような皇帝のだらしなさ

そして、後継者争いが孫晧の代になって収まったかと思いきや、今度はまるで晩年の蜀のような状況が生まれます。はっきり言うと、孫晧がとてつもない暴君だったのです。孫晧のひどさに皇帝の側近も孫晧を見限ることはもちろん、呉はさらに衰退することになりました。

孫晧は晋という脅威が差し迫っているのに対して、それには一切目を向けずに自らの私利私欲のために行動したために、晋の総攻撃に対して大した反撃もできずに降伏してしまうことになります。

袁紹の最期、そして蜀の最期を投影したかのような呉の末路は大本は孫権が後継者問題に対して真剣に向き合ってこなかったことも原因として挙げられそうだといえます。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク