一から曹操が創り上げた勢力 ~魏~

曹操が創り上げた魏という国について見ていきます。

曹操≠魏

魏と言えば曹操・・・というイメージがありますが、厳密に言えば曹操が生存していたころはまだ魏王朝は誕生していません。魏王朝が誕生したのは曹操の後を継いだ曹丕の時代であり、曹丕は漢王朝から禅譲という形で魏王朝の皇帝に即位することとなりました(とはいえ、もはや献帝は曹操の傀儡でしたが・・・)

とはいえ、その勢力を創り上げたのは曹操の活躍あってこそなので、創作物によっては曹操が勢力を拡大し始めたあたりから便宜上曹操軍ではなく魏軍と称しているものも多くみられます。

魏の歴史

魏王朝の歴史を年表でまとめてみます。

皇帝 出来事
220 曹丕 後漢から禅譲を受け、曹丕が魏を建国し、初代皇帝として即位

洛陽に遷都

221 孫権を呉王に任命
222 孫権との関係が悪化
223 濡須口に進軍するも敗北
226 曹叡 曹丕が崩御、曹叡が2代目皇帝に
228 街亭の戦い、石亭の戦い、陳倉の戦いが起きる
229 諸葛亮の第3次北伐により領土を一部失う
230 漢中に総攻撃をかけるが戦果は上がらず
231 諸葛亮の第4次北伐を阻止
234 五丈原の戦い、合肥新城の戦いが起きる
239 曹芳 曹叡が崩御、曹芳が3代目皇帝に

ただし、実権は曹爽が握ることに

249 司馬懿がクーデターを起こし、魏の実権を握る
254 曹髦 司馬師によって曹芳が帝位から外され、曹髦が4代目皇帝に
260 曹奐 曹髦が司馬昭の暗殺を試みるが失敗し命を落とす。
司馬昭によって曹奐が5代目皇帝に
263 蜀に総攻撃をかけ、蜀を滅ぼす
265 曹奐が司馬炎に帝位を禅譲し、魏王朝は滅びる

屯田制

196年、曹操は自らの勢力内において屯田制の仕組みを取り入れます。

というのもこの時代あちこちで戦争が起きているものですから農業をしている人たちは戦争を避けるように難民となり、激戦区となった中原などは農業による生産が低下していたのです。

戦闘するときはもちろん勢力を維持していくためにも勢力内の民や兵士たちに与えることができるだけの十分な食料が必要です。

そこで曹操は難民と化していた人たちに農業をするための必要な土地や牛、道具などをすべて貸し与えて民たちは農耕作業に専念できるようにし、収穫の時期になったら生産された食料のいくらかを税金として持っていくという仕組みを作ります。

金や農業の道具などを持っていない貧しい人であったとしても働くことによって自らの生活を成り立たせることができ、また曹操にとっても安定した食料の確保を期待することができます。

何もなくても農業をできる場所があると風のうわさで聞いた難民たちが曹操の元に集結し、農地は徐々に拡大、そして与える土地が無くなったら余剰人員は兵力に回すなど、屯田制によって曹操は安定した食料だけでなく、兵力をも増強することができたのです。(逆に、戦闘があまり起きていない時期は兵士にも農耕作業をさせることもあった)

曹操が作ったこの仕組みは曹操、そして魏の時代になってもこの屯田制の仕組みは続けられることになり、魏軍が最高の士気で戦える大きな助けとなったことは間違いないでしょう。

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