太平道を布教し、漢王朝に反乱した大賢良師 ~張角~

三国志のスタートとなる黄巾の乱を起こした張角についてまとめていきます。

三国志の宗教事情

張角はもともと太平道と呼ばれる宗教の教祖でした。当時の中国では自国が生んだ儒教をはじめ、インドから伝わった当時は新興宗教だった仏教といった宗教が信仰されていました。三国時代においては儒教をさらに発展させた道教と呼ばれる宗教も登場しますが、この道教の一つであった「太平道」という宗教が張角が作ったとされているものです。

張角が持っていた奇妙な書物

張角は太平道というものを作るための元となった書物を持っていました。

太平清領書(正史)

後漢時代において、于吉という人が書いたとされる書物に「太平清領書」というものがあります。この書物の内容に何が書かれているのかを説明するのは難しいですが、この書物はのちの太平道の経典となるため、キリストにおける「聖書」、イスラムにおける「コーラン」のようなものと考えてよいでしょう。

張角はこの書物を何らかの方法で手に入れることに成功し、自ら教祖となり太平道を布教し始めます。張角は医学に長けていたのかどうかはわかりませんが、人々の病気を治すこともできたため、太平道を信仰する人はどんどん増加していきます。

太平妖術(演義)

演義においては脚色がなされ、彼は太平要術を手に入れ、そこに書かれていた術をマスターし、一種の妖術を使えるほどにまでなったという話になります。正史であった「病気を治すこと」も演義においては張角の妖術によってそれが可能であったというところでしょうか? 不可思議な張角に魅かれて太平道を信仰する人も多かったでしょう。

治安の悪化で漢王朝の民全体の不満が高まる

この時期の漢王朝は政治腐敗が進み、朝廷内の人たちは権力闘争に明け暮れ、その結果民衆の不満が積もり積もっている状態となっていました。そして、その不満は太平道を信仰していた人たちも例外ではありません。

張角をはじめとする太平道は徐々に「今の世の中は腐っている。誰かが新しい世の中を作らなければならない」と考えるようになり、そして張角はそれをできるのは私しかいないと考えるようになります。

蒼天すでに死し、黄天立つべし

そして張角は184年、太平道の信仰者に対して「蒼天すでに死し、黄天立つべし」というスローガンを掲げ、大規模な反乱を起こしたのです。この反乱には参加した人たちが頭に黄色い布を巻いていたことから「黄巾の乱」と呼ばれるようになります。

蒼天とは漢王朝のことを指し、黄天とは太平道のことを指すため、このスローガンをわかりやすくすると「漢王朝はすでに終わった。今こそ太平道が立つべきだ!」という感じになると思います。

反乱は失敗する

ですが、大規模にわたった反乱も何進をはじめとする討伐軍や、名門生まれの袁紹、当時はまだそこまで有名ではなかった、曹操、劉備などといった人たちに一掃される事態となります。張角は反乱を起こしたその年に病死し、太平道という宗教もここで終わりを迎えることになりました。

しかし、張角が起こしたこの反乱は民衆の怒りがいかに大きかったかを物語る出来事でもあり、今後の中華を乱世へと引きずり込む種となったと言えるのではないでしょうか?

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