五丈原の戦い その2 ~五丈原の夜に流星が落ちる~

もはや、諸葛亮の体は限界を超えていました。

司馬懿、勝利を確信する

敵地を視察した間諜から「諸葛亮が長時間働いていて疲れの色が見えている」という知らせを聞くと、司馬懿はもはや諸葛亮は長くは生きられないだろうと悟りました。

こうなればもはや司馬懿も打って出ることはしません。じっくりと耐え続け、蜀軍が撤退するのを待つのみです。

諸葛亮、ついに病に倒れる

疲れながらもなんとか国事を行っていた諸葛亮でしたが、とうとうそれも限界がやってきて、諸葛亮は立つことすら難しくなりました。さすがの諸葛亮ももはや自分の寿命がそう長くないことを悟り、諸葛亮は自らが無き蜀の今後について考えるようになります。

蜀の陣営には多くの問題があったため、それだけでも解決しておきたかったのです。

問題多き人材

まず、諸葛亮が懸念材料として考えていたのが蜀の武将や参謀たちのことです。諸葛亮は限られた人材の中でいかにしてその人の長所を引き出して活躍させるか、といった人事を行ったため、長所ももっているけれど短所が致命的な問題である人も多くいました。

例を挙げると、魏延という武将は強いのですが、少し過激な意見を主張することも多く、慎重派の人たちとの対立をたびたび起こしていたと言います。

諸葛亮は自らが息を引き取った後は撤退することを考えていましたが、魏延が納得しないかもしれないと考え、最悪魏延を置いて退却するようにと後に命じることになります。

後継者

そして、もう一つは後継者をだれにするかという問題がありました。これに関しては劉禅も気になっていたために使者を諸葛亮に派遣して今後の戦略をどうするのかを訪ねたのです。

使者に対して諸葛亮は「私がいなくなったら蒋?を頼りなさい。」と答えます。

さらに使者はその次は誰がよいのかを尋ねました。

諸葛亮は「費?がよいでしょう・・・」と答えます。

さらに使者はその次はと尋ねます。そして諸葛亮は・・・

「・・・・・・・・・・」

何も返事をしませんでした。

五丈原に星落ちて

234年8月、諸葛亮は五丈原の陣中において息を引き取りました。夜空を見上げると流れ星が見え、そしてその星は諸葛亮のもとに落ちたと言います。

三顧の礼によって諸葛亮は自らの人生を劉備とともに歩み始め、そして劉備が病死したときには蜀の命運を任されるようになりました。

劉備から託された思いを果たせなかった諸葛亮は五丈原の陣中でなにを思ったのでしょうか・・・?

その3へつづく

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