五丈原の戦い その1 ~三顧の礼に報いるために~

諸葛亮の最後の北伐の話です。

諸葛亮、5度目の北伐

227年に水師の表を上奏してから6年たった233年まで諸葛亮は4度の北伐を実行しましたが、どれも蜀軍に決定的な勝利をもたらすことはできませんでした。

そして、このたび重なる北伐は蜀の国内を徐々に疲弊させるものとなります。蜀の領土は益州しかなく、何度も北伐できるほど補給物資を用意することが難しいため、諸葛亮にとってももはやこれ以上結果的に無意味な戦いが長引くことは避けたかったと考えられます。

そして234年に諸葛亮は5度目の北伐に臨みます。

五丈原に布陣

今まで以上に木牛や流馬を準備し、万全の態勢を整えた諸葛亮は五丈原に布陣します。ルートで言うと街亭のように回り道はせずに直接長安に迫るルートになります。

対する魏軍は司馬懿を総大将にして対抗します。

司馬懿、長期戦を狙う

司馬懿は第4次北伐時と同じような戦術を展開しました。ひたすらこもって耐え続けるという戦術です。蜀軍は第2次北伐と第4次北伐において補給物資が切れたことによって退却を余儀なくされていますから、今回も補給物資が切れて撤退することを狙った戦術であるといえるでしょう。

そして、五丈原の戦いは司馬懿の狙い通り第4次北伐時と同じ長期戦になっていきます。

諸葛亮、何とか司馬懿を引きずり出そうとする

要所にこもられると蜀軍は手の出しようがありません。諸葛亮は何とかして司馬懿の軍勢をおびき出そうと挑発をたびたび行おうとします。

そして、この挑発行為の一つにおいて有名な話があります。それは司馬懿に対して女性ものの服や飾りなどを送ったのです。これには「砦にこもって打って出ようとしないあなたにピッタリであろう」という意味合いも込められていました。

しかし、これにも司馬懿は全く動じませんでした。何も変わらない戦況に時間だけが過ぎていきます。

諸葛亮、過労状態に

戦いが長期化するにつれて、諸葛亮の体調が徐々に悪くなっていきます。実は諸葛亮はこの前から国内における政治や軍事などをほとんど自分でやっている状態が続いており、その裁量は年を重ねるにつれてだんだんと多くなっていったのです。

五丈原の戦いに至っては今でいう長時間労働が日常茶飯事的に続いており、その疲労は確実に諸葛亮の体をむしばんでいきます。

「漢室復興のため・・・皆が創り上げた蜀の未来のため・・・そして何よりも27年前のあの日、三顧の礼を行ってまで私のことを迎え入れてくれた亡き先帝(劉備)のために・・・」

諸葛亮の必死の思いで蜀の国事、五丈原の戦いの戦術について重い体を無理やり動かしながら活路を見出そうとしていました。

その2につづく

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