曹休、敵の罠にはまる ~石亭の戦い~

諸葛亮の北伐期間中に魏と孫権の間で起きた戦いです。

魏が再び孫権へ侵攻

この時期は諸葛亮の北伐が行われている最中でしたが、魏と孫権との関係も悪化しており、孫権はこの時期に魏に対して攻撃を仕掛けることを決めます。

侵攻する魏軍は曹休をはじめ、後に諸葛亮と対決をすることになる司馬懿までもが戦列に加わっていました。(といっても、司馬懿は石亭からかなり離れた宛から江陵に侵攻していましたが)

一方迎え撃つ孫権軍は陸遜が中心となって魏軍に対抗する構えです。

石亭の戦い(228年)
場所:石亭(司馬懿は江陵を攻撃)
結果:孫権軍の勝利
交戦戦力
孫権軍 魏軍
指揮官および主な参戦者
陸遜
周魴
朱桓
全淙
曹休
賈逵
司馬懿
損害
兵力、物資ともに甚大

「苦肉の計」再び?

両軍が衝突する前に陸遜はとある策を考えていました。その内容は、孫権軍の武将の一人であった周魴という人を魏に降伏したように見せかけて敵を罠にはめるというものです。

陸遜はただ単に降伏したとしても怪しまれると考え、「周魴が孫権からひどい仕打ちを受けていて、周魴は魏に投降したがっている」ということを相手に伝えようとします。細かい部分は違えど、これはかの赤壁の戦いにおいて黄蓋が行った「苦肉の計」とよく似ているといえます。そして、こういった状況を聞いた曹休は周魴の投降をすっかり信用してしまうことになります。

兵力では魏軍の方が上であったが・・・

周魴から「このルートを通れば楽に攻めることができる」と言われ、曹休はその通りに進軍します。この時の兵力は魏軍の方が多く、陸遜が率いる兵力は少数でした。しかし地の利は陸遜の方にあります。まんまと罠にはまった曹休は陸遜が効果的に攻撃できる石亭まで誘い込まれ、陸遜軍からの攻撃を受けることになります。

さすがにこの時点で周魴の寝返りが罠だと悟った曹休でしたが、このままでは引き下がれないと陸遜軍に抵抗します。

しかし、抵抗むなしく曹休軍は大敗北、魏軍の援軍が到着しましたが時すでに遅しでした。

この戦いで陸遜はすっかり有名人に

樊城の戦いの前の時期においては陸遜という人物の名声は広まっておらす、関羽を油断させたほどですが、ここから夷陵、そして石亭とその実力を相手に見せつけ、陸遜は敵にとって油断ならない人物として注意されることになったと考えられます。この戦いで陸遜は大きく出世し、孫権から大きな権限も与えられるようになりました。

一方敗北した曹休は命からがら脱出に成功し、また皇族の血を引いているということもあって敗戦の責任は不問とされましたが、この大敗北が体に重い負担がかかったのか、1年もしないうちに息を引き取りました。

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